真珠道(まだまみち)探訪記   (後編<1>:真玉橋〜小禄)へらさぎ(箆鷺)

 いよいよ真玉橋から小禄を経て那覇港南岸にある屋良座森城(ヤラザムイグスク)までを探索します。 真珠道といえば、首里城から金城石畳道までか、せいぜい識名宮までが一般的で、小禄界隈が紹介されることは滅多にありません。したがって、この地は特に綿密に探索していこうと思います。

 本来の真珠道は、真玉橋からイシバーシ(石火矢橋) を渡り、豊見城グスクを漫湖沿いに左廻り廻って小禄に抜けたとされています。しかしながら、豊見城グスクの途中の道は火葬場によって遮(さえぎ)られ、その先に進むことはできません。


とよみ大橋とマングローブ



クロツラヘラサギ

 この火葬場には、33億円もの予算を投じて新装改築する計画があります。火葬炉6基の計画規模は、東京瑞江の20基には及ばないまでも、浦添市いなんせ斎苑に並ぶ立派な規模です。

 という訳で、小禄へは「とよみ大橋」【パノラマ】を使って迂回することにします。

 とよみ大橋は漫湖に架かる近代的な吊り橋(ファン型斜張橋)で、橋の形は、本州と四国を結ぶしまなみ海道の多々羅大橋に似ています。 橋の下は、ラムサール条約登録湿地になっていて、マングローブの豊かな林が広がっています。

 去年(2011年)の暮れにマングローブの大規模伐採が行われました。水鳥が餌をついばむ場所を確保し、減少を続けている渡り鳥の飛来数を回復させるため、というのが大義名分のようです。

 環境省管轄の漫湖水鳥・湿地センター職員に、「そんなことして、いいんですか?」と尋ねたら、元から自生していたものではなく、豊見城市の市民団体が専門家の意見も聞かずに植樹したものなので、伐採した方がいいんだそうです。 自然保護を信じ、植樹に協力したボランティアの人たちの梯子は、完全に外されました。

 ここには、テレビでしか見たことのなかった「へらさぎ(箆鷺)」もいて、嘴(くちばし)を水中で左右に振りながら餌を探すユニークな姿が観察できました。 へらさぎは絶滅危惧種に指定された貴重な種で、それが当たり前見られる環境はすごいです。 しかし、伐採跡にはビニールなどのゴミが放置されたままで、どうして一緒に片づけなかったのでしょう。


小禄ナカミチ
 真珠道へは、小録ボーリング場付近から小禄本通りを横切り、山側に続く路地を登って合流します。この路地を登り切ったところにある車道が小禄ナカミチで、この通りが当時の真珠道であったと云われています。

 ナカミチ(中道)は、小禄(うるく)部落内を等間隔で並行に走っていたと言われる小禄3本道(前道・中道・上道)のひとつで、馬車や荷車の通らない幅一間半(約2.7m)の歩行者専用道路だったということです。

 前道は荷物運搬用の二間道路、上道は神事でしか使われない神聖な通りであったらしいのですが、この界隈を丹念に探索するとナカミチの両側には、確かに2本の通りが存在します。付近の小路は、どこをとっても情緒たっぷりで、 由緒ある通りと云われればすぐにも信じてしまいます。

 特に上道であったろうと想像される山側の小路の背後には、鬱蒼(うっそう)とした樹木にかこまれた立派な亀甲墓(きっこうばか)がずらりと並んでいて、そうでなくと神聖な気持ちにさせられます。中には一面ユリの花に囲まれた花のお墓もあり、伊江島タッチューの麓(ふもと)に広がるリリーフィールド公園にも似て、たいへん羨(うらや)ましいご先祖様達です。



カニマン御嶽/クシンカーガー
 先ほどボーリング場付近から登ってきた小路は、地域で一番標高の高い小山の山頂にあって、小禄地区の最高聖地でもあるカニマン御嶽(通称、「小禄グスク」)まで続いてます。

 途中には、ノロ(琉球時代の神女)が身を清めるためにつかったとされる専用の井戸(クシンカーガー)があり、現在でも近くの住民が雑用水として活用しています。

 さらに付近の裏道を探索すると、緩やかに湾曲した小路の石垣には、太平洋戦争で浴びたとされる生々しい砲弾の跡まで残っていました。

 道路整備の現場では、掘削で偶然見つかった石畳の痕跡が顔をだしています。このカニマン御嶽まで続いていたと思われる石畳も、道路工事補修終了後には埋め戻され、再びアスファルトの下で長い眠りに着くことになることでしょう。





前篇<1> 前篇<2> 中篇<1> 中篇<2> 後篇<1>(この場所) 続けて、山下町の路地を歩きます。

(このシリーズは、iPadで楽しめるように設計されています。喫茶店でお茶を飲みながら、ゆるりとした気分でお楽しみください。)
ついでに、他の「紀行・探訪記」へも、是非訪づれてください。