真珠道(まだまみち)探訪記   (中篇<1>:繁多川〜識名宮)識名宮

 識名坂をやっとの思いで登りきり、頂上付近までやってきました。識名坂は「シチナンダビラ」と読ませます。識名平(シチナンダ)と呼ぶこともあるようで、平(ヒラ:坂の意味)だけでは物足りないから坂(ビラ)を追加したのでしょうが、「シチナンダビラ」と読ませたいのであれば「識名平坂」と云う字を当てて欲しいと思います。(のっけから、理屈っぽい話ですいません。)


「メーミチー」(前道)
 ここからはメーミチー(前道)と呼ばれる通りを通って識名宮を目指します。 この付近には、ガー(井戸、湧き水)、ガマ(洞窟)、屋敷跡など、幾つもの史跡が残っています。[繁多川地区]

 案内板には「繁多川字指定文化財」とあり、地元自治会が史跡保護に向けて、独自に文化財を指定するという取り組みを行っているようです。案内板作成には「那覇市協働のまちづくり事業」補助金が充てられていて、お金の使い方の上手な自治会です。

 この「メーミチー」(前道)こそ昔の真珠道で、道沿いにはハンタガー(繁多川)、ボージガー(坊主川)、ウフカー(大川)などの水場や、神村酒造所跡の石垣塀がそのままの形で残されていました。 しかしながら残念なことに、自治会が史跡保護に力を注いでいる一方でゴミの放置も稀に見られ、地元住民の理解と関心はまだまだ希薄なようです。[繁多川字指定文化財]


「識名宮」
 近くを探すと「識名宮」の鳥居が見つかりました。ここは、こじんまりとして青々とした芝生の綺麗な落ち着いた感じの神社です。境内には、大きな毬を抱えた1対の狛犬がいて、思ったとおり金城橋の欄干に置かれていた狛犬と似た構図です。

 しかし、これほどまで大きな毬を、両手で抱える構図の狛犬には初めてお目に掛かりました。顔つきは古代オリエンタル風で、奥武山公園にある天燈山や世持神社の狛犬とも傾向が似ています。 拝殿の中では、二人のおばあちゃんが座って熱心にお祈りしてたので、拍手も控え目に行いました。

 不思議なことに、同じ顔つき・同じ構図・同じ大きさのシーサーは、那覇から高速船で35分の渡嘉敷島にある「とかしくマリンビレッジ」の玄関先にも鎮座しています。 この謎は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作「モナリザ」が2点存在したということと同等の衝撃で、真相は、後日、絶対に明らかにしなければなりません。[狛犬の謎]

 ここからは識名トンネルの上を越えて、イリヌシサー、アガリヌシーサーの待つ真玉橋に向かいます。 途中、両脇におびただしい数の墓地が現れました。この付近一帯は那覇市営の識名霊園で、沖縄のお墓、とりわけ亀甲型の門中(むんちゅう)の立派さには驚かされます。 少なくとも人の住む家より立派なお墓が市街地のど真ん中に「でん」と存在している光景は、沖縄でしか見ることができません。

 門中とは男系一族のことで、その一族が共同で利用・管理するお墓が門中墓です。核家族化が進み、無縁仏や新たなお墓の確保が難しくなっている今日、ヒントとなる一つのお墓のシステムだろうとも思います。 ちなみに糸満ロータリー付近にある「幸地腹(こうちばら)門中墓」では、4,000人から5,000人の親族がいるとされ、しかも今でも現役で使用していると云うから驚きです。


県道222号と交わる交差点
 霊園を抜けしばらく進むと、県道222号と交わる交差点に到達します。この交差点をよくよくみれば6叉路になっていて左斜め前方の小路は、道幅といい緩やかにくねった感覚といい、かつての真珠道というイメージにぴったりです。

 この6叉路の雰囲気は、写真で紹介したいと思いましたが撮影するのを忘れていました。 試しにgoogleマップのストリートビューを覗いてみると格好のビューが載っています。著作権には十分敬意を払いつつ、「個人で楽しむ分には違法ではない。」などと云い訳を繰り返しつつ、頂きました。

 ついでにストリートビューで真珠道を辿ってみれば・・・なんということでしょう。自分の辿った風景が高品質画面でリアルに再現され、わざわざ現地に出向く必要など無かったのではないか、などと云った気持ちになってしまいました。 こんなことならば、今回の紀行文も「ストリートビューで辿る真珠道のバーチャル旅」あたりで十分だったかもしれません。



前篇<1> 前篇<2> 中篇<1>(この場所) 「中篇<2>」へ続く!

(このシリーズは、iPadで楽しめるように設計されています。喫茶店でお茶を飲みながら、ゆるりとした気分でお楽しみください。)
ついでに、他の「紀行・探訪記」へも、是非訪づれてください。