真珠道(まだまみち)探訪記 (前篇<1>:首里城周辺) | |
「真珠道」とは、首里城から金城坂・識名坂を通り、真玉橋を渡って小禄を抜け、那覇港南岸の屋良座森城(ヤラザムイグシク)に至る琉球王国時代に建設された軍用道路です。 今回の探訪では、首里城から屋良座森城までの「真珠道」、およそ10km区間の道のりを完全リポートします。 |
守礼の門 | 首里城といえば「守礼の門」、真珠道探索は、ここからスタートすることにします。守礼の門には「守禮之邦」と書かれており、琉球国が挨拶を重んずる国であるという意味が込められているそうです。 高知のはりまや橋、札幌の時計台に次ぐ日本三大がっかり名所のひとつと言われたこともありましたが、首里城も立派に復元され世界遺産にも登録さた今、どこにも引けを取らない立派な観光名所になりました。 ちなみに世界三大がっかり名所は、ブリュッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚姫、シンガポールのマーライオンだそうです。 |
守礼の門と云えば二千円札、西暦2000年に開催された沖縄サミットを記念して発行されましたが、最近ではさっぱり見かけなくなりました。沖縄では、銀行のATMから今でも出てくることがあります。二千円札を扱う券売機や自動販売機がほとんどないため、二千円札ですみませんと断りを入れながらも、早く使ってしまおうという心理が強く働きますが、これは極めて二千円札に失礼でいかがなものかと思います。 守礼の門をくぐると、すぐ左手に園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)があります。 園比屋武御嶽石門は、これ単独で世界遺産に登録されており、南部を巡る東廻り(あがりうまい)の起点でもあります。そして、その奥には神聖な鎮守の森が広がり・・・と思いきや、今は城西小学校の敷地でした。 これが県や市の行政施設でなかったことが救いで、いまの行政機関にはとても手を合わせる気持ちになりません。 |
首里城 歓会門 | 園比屋武御嶽の先が首里城歓会門です。首里城には何度も訪づれていますが、今年は辰年のため龍樋(りゅうひ)にだけは挨拶していこうと思います。 龍樋は瑞泉門手前にある水場のことで、清らかで神聖な水が龍の口から湧き出ています。 この龍の吐き出す水こそ瑞泉(ずいせん)で、琉球泡盛「瑞泉」の名前の由来になっています。 首里城を訪れたら、石垣の美しさも堪能して貰いたいと思います。亀甲乱れ積み(あいかた積み)と呼ばれる積み方は石積みの最終進化系で、城壁全体が緩やかにカーブしたフォルムも沖縄特有のデザインです。沖縄の魔物「マジムン」は直進する性質を持つと云われており、古くからの路地(すーじぐゎー)も微妙にカーブしています。石積み塀の曲がり角を丸くしてあるのも、この考えによるものです。 |
せっかく首里城まで来たので、その周辺も見て回ります。 園比屋武御嶽まで戻り、石門の右手にある階段を下りると龍潭池(りゅうたんち)です。琉球王国時代には、この池で優雅な舟遊びをしたと云う記録が残っています。その流れを汲むここのアヒル達は、人が近づいてもちょっとやそっとではどきません。 あんた誰というような上から目線で睨みを利かしてきます。 この池の北側を通って県立博物館跡に抜けるルートが「中頭方西海道」(なかがみほうせいかいどう)です。この道は浦添グスクを経由し、恩納村歴史探訪で紹介した「国頭方西海道」(くにがみほうせいかいどう)まで続いており、これについては別の機会にじっくり調査する必要がありそうです。 |
沖縄県立芸術大学のシーサー | 天女橋の架かる弁財天堂を右に見ながら先に進むと車道にぶつかり、そこを左に行ったところに沖縄県立芸術大学の入口があります。その門の上にはどのように評してよいものか戸惑ってしまうようなシーサーが飾られていて、はじめて見た時は、近くにある市立城西幼稚園児の作品であると思っていました。 しかしながら恐ろしい事に、沖縄の芸術文化を代表するさぞかし立派な作品なのかも知れないと云う余計な先入観を持って眺め始めると、鮮やかな色づかいや活き活きとした造形美が素晴らしいなどと、思ってもいなかった方向に洗脳されていくのがよく分かります。こんなことでは、「はだかの王様」を笑うことなど到底出来ません。三大がっかり名所にも笑われてしまいます。 |
前篇<1>(この場所) | 前篇<2>につづく(金城石畳から識名坂に向かいます。) |
(このシリーズは、iPadで楽しめるように設計されています。喫茶店でお茶を飲みながら、ゆるりとした気分でお楽しみください。) ついでに、他の「紀行・探訪記」へも、是非訪づれてください。 |