豊見城市 村獅子(シーサー)探訪 (前編) |
沖縄県豊見城市は、那覇市の南に隣接した成長著しい地域です。東洋経済新報社発表の全国787都市成長力ランキングでは、ここ10年間、常に8位以内をキープしています。しかも、2006年と2010年には一位の座にも輝きました。 しかしながら、昔ながらの家並みや風習も未だ色濃く残る地域でもあり、古い遺跡や遺構も数多く存在します。[琉球新報] ところで沖縄では、村を災難から守るため村の入口に石獅子(シーサー)が置かれてきました。シーサーは沖縄弁で「獅子(しし)」が訛ったもので、古代エジプトのライオン像に端を発すると言われています。 屋根に飾られるようになったのは明治以降のようです。 最近では、玄関先で仲睦まじくペアで鎮座するシーサーが一般的になりましたが、これには本土の狛犬が影響を与えた模様です。 豊見城市内には琉球王国時代、或いはそれ以前に作られた村の守り神としての石獅子(村獅子)が幾つか残されています。古くからの石獅子は、カバやオットセイに似ていたり、或いはかわいいペンギンに似ていたりといろいろで、お世辞にもライオンには見えません。 今回の探訪記では、市内に僅かに残されたこれら貴重な石獅子を、余す所なく紹介して行きたいと思います。 豊見城には伊良波小中学校の近くに、赤瓦屋根で作られた綺麗で立派な中央図書館があります。 そこには郷土資料専門の区画があり、市内のグスク(城)や遺跡発掘調査資料など、結構渋い資料が閲覧できます。 市内の石獅子に関する研究資料も豊富で、基本的な情報はここで調達します。 しかし地図が古かったりアバウトだったりで、容易には現物に辿りつくことができません。1日かけて1体を見つけるのが精いっぱいで、場合によっては数日かかることもありました。
比較的容易に見つかるのが名嘉地のシーサーです。 名嘉地バス停の交差点から村に入って真正面の所にあり、すこしばかり通行に邪魔なため、行けばすぐに分かります。 愛嬌たっぷりで個人的には好みのシーサーです。上唇にけがの跡があり、モルタルで安易な修復を施したあたりに沖縄人のおおらかさが感じられます。 右足の足元には、よく枯れ葉やごみが吹き溜ります。今回もジュースのパックが引っ掛かっていたので、拾って綺麗にしてから写真を撮りました。 なかなか見つからないのが、水面から顔を出した「かば」にそっくりの田頭(たがみ)のシーサー。やや離れた場所に2体あって、両方見つけるのは至難の業です。 一体は名嘉地から瀬長に抜ける道路脇にあるのですが、廻りの景色に溶け込んでいてよほど意識して通らないと気づきません。 このシーサーにはアメリカ軍の戦車を追い返して村を守ったという逸話が残っています。 もう一体は村の中にありますが、2体目を見つけるのに3日掛りました。 この2匹は雄と雌の夫婦らしいです。夫婦は似ると言いますが、どちらが夫でどちらが奥様なのかよく分かりません。2匹とも瀬長島を向いており、そこに住むマジムン(悪霊)から村を守っているのだそうです。 |
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