豊見城市 村獅子(シーサー)探訪   (最終編)

 最後まで見つからなかったのが平良のシーサーと渡嘉敷のシーサー。かくなる上は禁断のiPad、GPS現在位置表示機能を駆使し、豊見城中央図書館秘蔵の郷土資料にてピンポイントの位置関係を割出してから捜索開始です。少し前の携帯でも現在位置は表示してくれました。しかし、自分が向いている方角までは教えてくれなかったため、歩く方向を間違えて引き返したことが幾度かあります。i-Phoneの右上に方向磁石を埋め込むという実用新案申請を考えていたのに、それより早くデジタルコンパスが実装されてしまいました。

 そんな最新兵器の甲斐(かい)も無く、地図の示す付近をウロウロするばかり。平良のシーサー探索に至っては、青い鳥を探しにでかけたチルチルとミチルのように、とうとう鬱蒼(うっそう)とした森の中の草藪(くさやぶ)に迷い込んでしまう羽目となりました。

 沖縄の草藪(くさやぶ)はハブが出そうで苦手です。宮古島や久高島にはいません。人参の島として有名な津堅島、クロワッサンアイランドとよばれる水納島にもいないということなので、ここでは安心して海水浴が楽しめます。 これまでハブに出会ったことはありませんが、海へびにはちょくちょく出くわしました。海へびは、空気を吸うために海面に上がってくることがあります。宮古島の大神島付近で真近に遭遇した時は、あまりに慌てて水を飲んでしまい、溺れそうになりました。

 なかなか発見できないシーサーでしたが、渡嘉敷のシーサーについては集落センターの角に移設されていると云う情報が飛び込んできました。 小雨にもかかわらず居ても立ってもいられない気持ちになり、すぐに探しに行きました。


【渡嘉敷のシーサー】

 ありました、有りました。紛(まぎ)れもなく探し続けていた渡嘉敷のシーサーです。 敷地所有者の自宅新築が移設理由のようですが、なんと勿体(もったい)無いことでしょう。自分の家の玄関先に琉球王朝時代に作られた由緒正しいシーサーがいたら、訪れた人みんなに自慢できたと思います。

 このシーサーは、村の火災除け(火返し:ヒーゲーシ)として作られたと云われており、長い間風雨に耐え抜いてきた辛抱の歴史が伝わってきます。探しに行ったのが雨の日だったため、余計にそう思えたのかも知れません。

 これまで紹介した10体の石獅子(シーサー)は、豊見城市の文化財として大切に保護されています。これらシーサーは、いづれも村はずれにあって、外から侵入するマジムン(魔物)や災厄(さいやく)から村を守ってきました。これは本土の「村はずれのお地蔵さま」も同じです。 お地蔵さまと云えば長野県安曇野の道祖神、多くの観光客に人気です。地元関係者の知恵と努力のたまものでしょうが、豊見城のシーサーもあやかりたいと思います。

 皆さまにご愛読いただいた「豊見城市 村獅子(シーサー)探訪」も、本編で最終回となりました。古くから残っている石獅子は、本土の人から見ると結構新鮮に映るようです。 平良のシーサーは最後まで手がかりが掴めませんでしたが、一体ぐらい幻のシーサーがいた方が夢があるかも知れません。豊見城市内には、シーサーだけでなく、数多くのグスク(城)や遺跡が埋もれています。今後はこれらについても、ひとつひとつ掘り起こして行こうと思っています。[最後に村獅子たちからのご挨拶]




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