恩納村 歴史を探る旅 (最終編:山田谷川の石矼〜比屋根坂石畳道〜仲泊一里塚)

山田谷川(やまださくがわ)の石矼(いしばし)

 いよいよ神秘の地、山田グスクに踏み入ることになりました。グスク北側崖下には、「山田谷川(やまださくがわ)」が流れていて、そこに小さなアーチの石矼(いしばし)が掛けられています。この石組技術こそ、座喜味城のアーチ門建設などに影響を及ぼした貴重なものだそうです。座喜味城と言えば去年の10月、オオシマゼミがキーンキーンと騒々しかったこと思い出しました。逆にここは不気味なほど静かで、黒い蝶の乱舞がよく似合います。

 山田グスクを下っていくと再び国道に戻ってきます。国道をしばらく歩くとルネッサンスリゾートホテルの前を通ります。ルネッサンスリゾートホテルの中には山田温泉がありますが、この温泉に浸かるにはスイートルームに宿泊するか、その他の部屋では3連泊以上が条件です。これだけ入浴条件の厳しい温泉は、他で聞いたことがありません。 ホテルで飼育しているイルカの人気も高く、イルカと一緒に遊べるドルフィンプログラムは、いつも予約で一杯です。

 ホテルの入り口を少し過ぎたあたりに、「歴史の道」の看板があって再び山道に入ります。ここには、比屋根坂石畳道と呼ばれる野面の石が敷き詰められた宿道(しゅくみち)跡が残っています。しばらく登ると見晴らしの良い開けた広場に出て来ます。この広場からは、先ほどのホテルと恩納村の海が一望できます。 昔は、ここで魚の群れを探していたということで「イユミーバンタ」と呼ばれているようです。 バンタは崖のことで、ミーは「見る」が訛った言葉でしょうから、「イユ」は魚のことでしょう。

 広場から石畳の坂を下ると仲泊遺跡の説明板があり、後ろを振り向くと岩陰に大きな窪みが確認できました。この窪みが紀元前1500年前は住居であったということです。遺跡が発掘されるまでは風葬墓になっていたらしいのですが、発掘に携わる人達に染み付いた怪しい性として、お墓を暴く事が最もワクワク心躍る時なのだそうです。

 遺跡を出ると恩納村博物館があります。博物館の周辺は、国頭方西海道を再現したイメージの設計になっていて、石畳や石矼、松並木が随所に配置されていました。 奥には恩納村農水産物販売センターがありますが、この辺りは北部と中南部を行き交う旅人の休憩地点であったことから、「なかゆくい」という名称になっています。

 「なかゆくい」でのひとやすみ(なかゆくい)は後に回して仲泊集落に入ると、すぐに仲泊一里塚の案内板が見つかりました。苦労して目指した「仲泊一里塚」にようやく到着です・・・と思いきや、単なる木の生えた住宅横の空き地でした。期待の大きさだけ虚しさも大きかったということでしょうか。しかし、一里区間の両方に一里塚が残っているのは沖縄県内ではここだけで、真栄田一里塚、仲泊一里塚、共に非常に貴重な文化財なのだそうです。

 17:49 仲泊バス停で120系統 那覇バスターミナル行き路線バスに乗り込み、初期の目的であった「恩納村 歴史を探る旅」は全行程終了しました。 この旅に最後までお付き合い頂き、「御拝(にふぇー)でーびる」でございました。広帯域LAN環境でご覧の方は、「ダイジェスト版」も是非どうぞ!

山田グスクの黒い蝶 「イユミーバンタ」からの眺望 仲泊遺跡



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