恩納村 歴史を探る旅 (中編:喜名番所〜親志交差点)

親志(おやし)交差点

 喜名番所の次の停留所が「親志入口」で、今回は、ここで下車します。 停留所の前には、読谷村で製作されたやちむんの共同売店があります。もちろん「やちむん家」のシーサーもありますし、金城一門の焼き物も置いています。ここには、日常使用のものよりも、やや手間をかけて数々の技法を駆使した上焼(じょうやち)の商品が沢山並んでいます。 一方荒焼は、釉薬を掛けずに焼いた素焼きの焼き物で、ビールのジョッキはむしろ荒焼に軍配があがります。荒焼の器で豊満に泡立った冷たいビールを口にすると、沖縄の海や山、そして土の香りが脳内いっぱいに広がります。

 隣りには、「ゆいまーる」という食事処が併設されています。「ゆいまーる」とは、緩やかに組織された共同作業システム、あるいはその精神のことで、共同売店の食事処としてはぴったりの名前です。さっそく沖縄そばを注文。沖縄そばはどれも同じと思っていましたが、最近になって違いがわかる様になりました。美味しいそばは、出汁の風味と麺の腰が違います。

 那覇周辺では、首里城裏手の「首里そば」が有名ですが、まだ食したことはありません。おなじく首里城近くの沖縄芸術大学横にある「あしびうなぁ」は、店内の雰囲気を含め、観光で来られた内地の方にお勧め出来ます。 さらに、そこから2kmぐらい離れた城北中学校横の「ゆんたくすば御殿山(うどぅんやま)」を究めれば、首里地区の沖縄そば基本コースは卒業です。

 そばを食べたら出発です。国道沿いを歩いてすぐの所に「荒焼 栄用窯」の看板を見つけました。荒焼と聞いて顔を出さない訳には行きません。ここは新垣栄用さんの工房です。もともと荒焼は庶民の日常雑器であったはずが、庶民の志向は上焼に向かい、皮肉なことに茶器や花器のような工芸品や美術品にその活路を求めていくしかない状況なのだそうです。

 ところで新垣栄用は荒焼技術の、特に大瓶を作る時の叩き締め技法は伝承者がいないといわれるぐらい希少な陶工士らしく、国と県が十五億円もの予算を投じて作成した沖縄デジタルアーカイブ「Wonder沖縄」のDVDにも登場しています。人間国宝にでもなったら、その作品は高騰すること間違いありません。いまのうちに買い集めておくことをお勧めします。

 さらに国道を歩くと沖縄ハム総合食品株式会社(通称、オキハム)の工場があり、数台の観光バスが来ていて多くの観光客で賑わっているようです。 歩き始めて15分、琉球村の看板が見えてきました。その横には「いい正月でーびる」の垂れ幕が!

 去年の秋、JA沖縄が「にふぇーでーびる祭(感謝祭)」という催し物をやっていて、そのときに「御拝(にふぇー)でーびる」が「ありがとうございます」の意味であることを知りました。 恐らく「でーびる」は、悪魔の発する言葉などではなさそうで、断定の意味を持つ助動詞「だ」の丁寧な云い回しである「です」、あるいは「でございます」のことだろうと思います。 うっかりすると夏目漱石の「吾輩は猫である」も、「ワンねーニャンコでーびる」という小悪魔的な猫が主人公の小説になってしまうところでした。 ちなみに、「でーびる」の過去形は「でーびたん」だそうですが(琉球新報より)、沖縄でも使いこなせる人は少ないようです。

読谷村共同販売センター 「荒焼 栄用窯」



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