中頭方西海道を探る旅 | (最終編:当山の石畳と伊祖城) | |
ここまで来たらせっかくなので、「当山の石畳」も探索しておこう思います。当山の石畳は、浦添間切番所から宜野湾間切番所に至る普天間街道の一部であって、当時の琉球国王もこの路を通って普天間宮に参詣したと思われます。 城の北側に回り込み、石畳入り口までやってきました。 入り口付近は急な坂になっていて「馬ドゥケーラシ」(馬転ばし)と呼ばれていたそうです。 そこから先は、牧港川の谷間にかかる石橋までなだらかな下り坂が続きます。あたりは一面木々に囲まれていて、すがすがしさを感ずる石畳でした。そして石橋を渡り、さらに石畳の坂を登った上からは、先ほど訪づれた「浦添ようどれ」の外壁が遥か遠くに確認できました。[当山の石畳] この後は、浦添大公園の展望台に立ち寄ってみようと思います。浦添大公園へはようどれ館から公園内の遊歩道を歩いていきます。この路は、なだらかな下り坂が800mにも渡って続いていて、自転車で勢い良く駆け抜けたら爽快だろう思います。[浦添大公園へ続く遊歩道] |
浦添大公園 伊祖城跡 オオゴマダラとルリタテハ |
展望台の建物には沖縄そば「いしぐふー」が出店していました。「いしぐふー」もずいぶん店舗が増えましたが、その魅力は出汁にあり、それぞれの店がそれぞれ違った出汁の風味を武器に切磋琢磨している様子を応援せずにはいられません。 一方で、夜には人影のなくなるこんな公園の中に作らなくとも、那覇の久茂地や松山界隈に開店すれば、どんなに儲かることだろうかと余計なことまで考えてしまいます。
浦添大公園の後は、伊祖城も覗いてみることにします。伊祖城跡はパイプライン通り(県道251号線)を挟んで浦添大公園のすぐ隣にありました。13世紀前半、沖縄最古の貿 易港と言われる牧港を見下ろす丘陵に築かれたグスクのようですが、謎に包まれたお城であって、城フェチにはよだれが出そうなマニアックな場所です。 この城は、英祖(えいそ)王誕生の地と云われています。英祖王は、母親が太陽を宿す夢を見て懐妊し、幼い時には「てぃだこ」(太陽の子供)と呼ばれていたと云うことで、イエス・キリストと同様に神の子という扱いになっています。 ところで楽天の田中投手も、野村監督に「マー君、神の子、不思議な子」と呼ばれてきました。今シーズン全勝という記録は今後の伝説となり得る結果ですが、マー君の登板する試合では、多少打れたとしても打者が援護するから不思議です。 さて、公園の奥に踏み入って行くと、鬱蒼とした森の中でルリタテハやオオゴマダラなどの多くの蝶に出会うことができました。「ルリタテハ」は、羽を閉じた姿は灰褐色で樹皮や落ち葉に擬態し第一印象は地味に見えますが、一旦大きく羽を広げると鮮やかなルリ色の縞模様が迫ってきて、ぐっと興味を引き付けられてしまいます。 一方、「オオゴマダラ」は、その優雅な振る舞いを見ても「南の島の貴婦人」に恥じることのない、オードリー・ヘップバーン演ずるミュージカル映画マイ・フェア・レディを彷彿させる、気品に満ちた華やかな蝶でした。 |
首里城から始めた中頭方西海道の旅でしたが、結局は、首里城・浦添城そして伊祖城まで、歴史を6世紀近く遡(さかのぼ)る時空を超えた壮大な旅になってしまいました。 たまには現代の喧騒(けんそう)を忘れ、いにしえの時代の移(うつ)ろいに想いを馳(は)せて貰いたいと思います。 |
前篇 | 中篇 | 後篇 | 最終篇(この場所) |
(このシリーズは、iPadで楽しめるように設計されています。喫茶店でお茶を飲みながら、ゆるりとした気分でお楽しみください。) ついでに、他の「沖縄花だより」や「紀行・探訪記」、「真樹のなかゆくい」へも、是非訪づれてください。 |