中頭方西海道を探る旅 (前編:首里城)

首里城/守礼の門

 2013年6月10日月曜日、いつものCafeで、いつもどおりiPadを弄(いじ)りながらりまったりしていると、ちょうど1年前の琉球新報で中頭方西海道(なかがみほう せいかいどう)が国指定史跡に指定されたという記事がヒットしました。中頭方西海道といえば平成8年に、当時の文化庁により「歴史の路100選」に選定されていた街道ですが、その中でも「首里大名〜牧港」(那覇市〜浦添市)、と「当山〜御待毛」(浦添市)の区間は順調に整備が進んでいると云うことなので、迷うことなく出掛けることになりました。

 さっそく首里城守礼門前の綾門大道(あやじょううふみち)に行ってみれば、ここは華やかさが違います。こうなったのも最近で、かつては三大がっかり名所と言われた事もありました。しかし、今では完全に昔の栄華が復活し、かつての汚名は全部皆様にお返しします。

 中頭方西海道のスタート地点は首里城久慶門(きゅうけいもん)。この門は、有料の首里城見学コースでは最後の出口になっており、この門を潜(くぐ)るところから中頭方西海道を探る旅は始まります。なお、久慶門を潜り抜けるだけならば、歓会門を入ってまっすぐ進めばお金を払う必要はありません。

 門を出てすぐに横を振り向くと、きれいに湾曲した首里城の美しい城壁を見ることができます。さらに石の組み方を注意深く観察してみれば、「布(ぬの)積み*1」と「相方(あいかた)積み*2」が混在している場所があるのに気づきます。これは往時に修繕を施した何よりの証で、文化財の復元ではそこまで徹底した再現が求められるのだそうです。

 *1 長方形に加工し、横目地が通るように積む技法。別名、「整層積み」あるいは「豆腐積み」。
 *2 五角形あるいは六角形に加工し、互いにかみ合うように積む技法。「亀甲乱れ積み」とも言われ、石積技法の最終進化系。



久慶門(きゅうけいもん)

城壁の石組み

龍潭池から臨む首里城

 久慶門を出たら、すぐ左手にある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)の前で道中の安全を祈ることにします。ここは東御廻り(あがりうまーい)の基点ともなっている国家の聖地で、当時の国王も各地に赴 (おもむ)くときは、必ずここで礼拝したと云われています。

 ここからは、龍潭池 (りゅうたんいけ)の畔(ほとり)を通って儀保(ぎぼ)に向かいます。龍潭池は15世紀はじめに作られた人工の池で、 瑞泉門(ずいせんもん)手前にある龍樋(りゅうひ)から湧き出した水、いわゆる瑞泉が流れ込むように設計されています。さらに龍潭池越しに眺めるライトアップされた夜の首里城は、雲に浮かぶ天空の竜を思わせます。

 龍潭通りを横断し、旧国立博物館跡の右横を歩いていくと、赤い格子のはめられた小さなアーチの石門が見つかりました。これが「安谷川嶽(あだにがーだき)」と呼ばれる那覇市指定の文化財、普通に見れば単なる御嶽(うたき)ではありますが、中頭方西海道沿いにあったと思うだけで当時の風景が頭をよぎります。

 そこから道は下り坂になっていて、左側には緑に覆われた美しい石垣が続きます。ここが琉球王朝御用達の味を今に伝える創業150年の味噌・醤油工場、有限会社 玉那覇味噌醤油です。ここの製品のこだわりは「無添加」「手作り」、大豆や米はいろいろな産地から集めているようですが、塩だけは島マースを使っているようです。

 もうすこし坂を下ると「安谷川」(あだにがー)がありました。こここそ周囲の名前の由来となった水場です。今下りてきたカラー舗装の坂道も「安谷川坂(あだにがーびら)」と名付けられており、この周辺の生活がこの水場を中心に営まれてきた様子が良く分かります。

 この周辺には、他にも佐司笠樋川(さしかさふぃーじゃー)、宝口樋川(たからぐちひーじゃー)などの多くの水場があり、ここは首里の山から湧き出した豊かな水で支えられてきた地域だろうと思います。この付近の様子は、沖縄花だより【3月】にも記述されており、これ以上の詳細はそちらに譲りたいと思います。



安谷川嶽(あだにがーだき)

安谷川(あだにがー)

安谷川坂(あだにがーびら)



前篇(この場所) 中篇へつづく

(このシリーズは、iPadで楽しめるように設計されています。喫茶店でお茶を飲みながら、ゆるりとした気分でお楽しみください。)
ついでに、他の「沖縄花だより」「紀行・探訪記」「真樹のなかゆくい」へも、是非訪づれてください。